2012年3月9日金曜日

「知の構造」からの考察

松岡正剛氏が日本人の「知の構造」について書いています。
知の考古学。日本は残念ながら「知の構造」を構築してこなかったと。
理論構造のようなものを知の系譜として確立して来なかった。と松岡正剛氏は書いています。
そしてヨーロッパというのは「知の構造」をつくりつづけた国々であり、民族であり、集団だと。
松岡正剛著 「連塾 方法日本 神仏たちの秘密 日本の面影の源流を解く」 から



この「知の構造」という地層を作り上げて来なかった故に
私は「漢方」、その背景にある「陰陽五行論」に憧れのようなものを抱いているのかもしれません。
陰陽五行論は医学に留まらず、人間が生きていく上であらゆる事柄にリンクしているメソッドです。
(その松岡氏のいう「知」ということの一つとして、陰陽五行論を置いています)

そして現在、食事のメソッドも世界中から集まって、科学的に研究が重ねられて、
取り入れていく日本があります。
食生活の考え方がこうしていろいろ模索されていくのも楽しいです。

松岡氏は更に日本はもともと「知の構造」に関心がなく、方法によって「知」を凌駕してきたとも言うべきだと。
「知」構造ではなく「方法の知」。この考え方にも頷いてしまいます。
見渡して色々考えてみると、なるほどなと。
日本は方法が「知」。そこには知の地層のようなものがなく現場主義的なあり方を連想しています。
「知」という側面で日本が確固たるメソッドを持ち合わせていたら
ひとつの価値観を共有できたのではないかと仮定して考えてみたいと思います。

ヨーロッパ諸国は「知の構造」が積み重なった歴史を持つ現在、核燃料を廃絶していく国もあります。
その知の歴史の地層が受け継がれていくことによって、先進的精神があっていくように思うのです。
同時に社会全体のモラルが共鳴していくから実現に向かうことがスムーズなような気がします。
私たちの先輩は敗戦を経験し、国としての人格のようなものが浮遊し、戦後、経済成長の中で科学の進歩に向かい、医学の進歩に向かった。
その科学の進歩の一環に核開発があったように思います。

一定の価値観、「知」の連動によって最終的に「命」を考えなくてはならなかった。

改めて「方法の知」というフォーマット、そしてここから「知」の地層を構築できたら。
今、何をするべきなのかがどう考えるべきなのか問われる時だと思います。

まだ整理しきれないままに書いてしまっています。

また考察が変わるかもしれません。ご了承頂けたら幸いです。

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